ぼくたちが東浩紀を呼んだ理由

皆さんは東浩紀をご存知だろうか。

東浩紀は日本を代表する批評家だ。

プロフィールは以下のとおり。

 

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家、作家。株式会社ゲンロン代表。同社発行『ゲンロン』編集長。

東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、サントリー学芸賞 思想・歴史部門)『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)『ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社現代新書)『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞『一般意志2.0』(講談社)『弱いつながり』(幻冬舎、紀伊国屋じんぶん大賞2015)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン)など多数。

 

批評家として『動物化するポストモダン』や『弱いつながり』など評価の高い作品が多い。実際、賞なども獲得している。

現在は自身でゲンロンという会社を立ち上げ経営をしながら作品を出版している。

 

一見、東浩紀とひとときの宮島星空旅行は全く関係がないように見える。

実際、東浩紀氏ご本人にもこのイベントに招待した理由を聞かれた。

自分の中ではこれは全く無関係ではないー。

 

東浩紀氏をひとときの宮島星空旅行にゲストとして招こうと決めたきっかけは尊敬する人物との会話である。当初は別の舞台で東浩紀氏を広島に招いてみたいという思いがあった。それを弥山にお招きしたらどうだろう。彼の一言が何かの直感のように「実現してみたい」と思わせた。

 

ただ、考えてみるとそれは“直感”では済まされないのかもしれない。そう考えるようになったのだ。

 

私は東浩紀から「誤配」という概念を学んだ。

「誤配」とは郵便における“配送間違い”のことだが、ここでは哲学的な考え方のこと。

本来あってはならない“誤配”かもしれないが、思いも寄らず“誤配”された郵便物を開けたことで新しい世界が開けるという考え。

人生は無限に広いように見えて案外狭い。それは自分の環境が“外部”の世界を制限しているからだ。

 

東浩紀は2014年に発表した『弱いつながり』で、Googleの検索はなんでも教えてくれるが、結局は検索ワードを入れるのは自分であり自分の中の世界からしか出てこない言葉の範囲しか検索できないという“真理”を教えてくれる。

 

自分の見える世界を広げるには・・・検索ワードを増やすことと東氏は定義する。実に面白くて刺激的な定義だった。何故ならば、通常ならばこのような文脈の場合、ネットの世界は否定的に捉えられるもの。批判の対象にはなれど肯定的に描かれることはまず無い。だが、東氏はネット社会をもはや切っても切れない世界だとして、それと付き合いながら充実した人生を送るために必要な“スパイス”を提示する。

 

それがリアルの世界。『弱いつながり』ではそれを“観光”で獲得することを例示している。

観光地に行ったからこそ、普段は検索しない地名や言葉を検索する。このことが世界を広げるという実に等身大な世界の“拡げ方”である。

 

これこそが“誤配”なのである。本来、自分の人生には関係なかったかもしれない“検索ワード”に観光を通して出逢う。そしてそれが世界や人生を豊かにするー。

 

東浩紀のそんな考え方に私は強く共感している。

だからこそ自分の世界だけで完結する予定調和は好きになれない。

 

そう、だからこそこの「ひとときの宮島星空旅行」を計画しているのだ。

このイベントは宮島の観光の歴史における“誤配”なのである。

そして見に来てくださるみなさまにとっても、思いがけないものに出逢う“誤配”の場でありたい。

 

このひとときの宮島星空旅行と東浩紀を結びつける“検索ワード”は「誤配」なのである。

だからこそ、私たちは東浩紀を呼んだのである。